Des images et des hommes, Bamiyan 20 ans après – Musée Guimet
アフガンのブッダ
事実上、アフガニスタンという国はなくなってしまった、という今。
そうして、岩山に彫刻された高さ55mもある「大仏」と呼ぶにも大きすぎる仏像がタリバンの手によって破壊されて20年の今。
パリの国立東洋美術館、ギメ美術館に行ってきました。
2001年の破壊行為は、首都バーミアンにある、ガンダーラ美術の殿堂、バーミアン博物館にも及びました。
フランスの考古学者、美術家からなる調査隊はそれよりも一足早くアフガニスタンに赴き、ペアで存在する美術品の一方をギメ美術館で保管し、もう片方をバーミアン博物館に残しました。
古代インドとギリシアを結ぶ「西のシルクロード(=パキスタン アフガニスタン イラン イラク)」は思想や文化の交流がアクティブに行き来した地域でした。
ユダヤ教から、キリスト教、イスラム教が形成され、古代仏教と出会っていったのです。
古代インドでは、釈迦が亡くなった後、その説法や教えのみが伝播されていったようですが、西から来た腕のいい美術家や技術者によって、ブッダの概念を現実的な形として像として形作ったようです。
この写真はそれぞれ、1世紀から3世紀くらいのアフガニスタンで作られてヘレニズムなブッダ像です。
彫刻の技術力として、とてもレベル高いです!鼻も高いです!!!
レベルはあくまでも、人体構造を理解して、立体物に表現できる能力です。
アジア地域の仏像はシンメトリック(左右対称)なものが多いですが、少し体に動きがあったりします。
「あれ?マルス!」「お、エルメス!」みたいなギリシャ彫刻的な雰囲気がムンムンします。
その後、6世紀、7世紀にアジア地域で作られていく仏像がこれらのコピーだとしても、かなりレベルが違います。
目に見えない精神的なものに執着した古代のインド人と、その尊敬の念を物理的な祈りの対象として彫刻したギリシア人と、面白い出会いがあったものだと感心します。
ギメ美術館のカンボジア室にでスケッチを1枚。