初めて分厚い”画集”というのを買ってみたのは、神戸の専門学校に通っていた頃でした。
神戸新聞社でアルバイトしていたお給料を全額叩いて買ったのが、デビッド・ホックニーでした。
神戸には、小さい輸入美術書を扱う店がちらほらとありました。
でも、それは画集ではなく、David Hockney Photography という写真集で、5枚目の写真のような、ポラロイドカメラで、被写体を多次元的に撮影して合成した作品ばかりを集めたものでした。
ちょうど、コンピュータグラフィックやビデオ、映像などを勉強し始めたころだったので、こういう斬新な作品、平面でありながら時間軸を表現したようなコンセプトに感動したのでしょう。
写真集の図録の中に、有名なカリフォルニアの光を浴びたプールの反射や、邸宅に集まる人たちを描いたダブルポートレートのシリーズがあり、そこが、POP ARTへの扉でした。
大袈裟かもしれませんが、POP ART的なものが、僕がデザインをしたり絵を描き続けるきっかけかもしれません。
何故、David Hockney に始まり、Andy Warhol や Roy Lichtenstein に傾倒していくかというと、彼らの絵筆のタッチのニュートラルさに惹かれていたのです。
学校で絵を勉強している間に問題だったのが、絵を描くエモーションでした。
もちろん、絵を楽しく感動的に描くこともありましたが、一筆一筆に入魂してエモーショナルに描くことに、違和感を覚えていたのでした。
リキテンシュタインは、絵の具のタッチをフラットに塗り分けていたし、ウォーホルに至ってはシルクスクリーンだし。
そのような、感情を少し抑制したニュートラルでフラットな感情が、テクノミュージックやコンピュータグラフィックスへの方向性を拓いたのだと思います。
かと言って、ホックニーの描くタッチは、リキテンシュタインほどフラットではありませんでした。
そこには、彼らしいクールで上品な筆遣いや息遣いが感じられます。
久しぶりに見る、そのカリフォルニアのプールの光は色褪せずキラキラと輝いていました。
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